ここでは、すでに大会にはあまり出ていないけど、過去に大きな功績を残した人、ヨーヨー界の発展に寄与した人、今でも、ヨーヨー業界を良くするために活動している人の中で、「この人は!」という人を紹介します。
2001年世界大会で披露した演技がきっかけで、翌年AP部門新設。その後も、俳優、パフォーマーとして多くのステージ、舞台で活躍中。
1999年より、2007年まで、世界大会上位に入賞し続けた。 最後まで世界チャンピオンにはなれなかったが、世界大会連続入賞の数は、圧倒的。
トリプルエースタイル(3A部門)のフリースタイルを初めてステージで披露。2001年世界大会で2ハンドトラピーズを世界で初めてステージの上で成功させた。
多くのトリック、動きを1998-2000年頃に開発。
2Aの元トッププレイヤー。ヨーロッパでプロのパフォーマーとして活躍していました。2012年に他界。
2Aの元トッププレイヤー。彼が編み出した動きも多い。JYYFの推奨曲のKiwamu曲としても有名。
セン、リュウセイ、てりー、いのの4人。2004年のハイパーヨーヨープロモーションの際、TAKAさんと共に活躍。
1999年世界チャンピオン。当時、彼に憧れたプレイヤーも星の数ほど。
1997-2000年ハイパーヨーヨーブーム当時、圧倒的な技術を誇り、上位選手の注目を一身に集めた選手。
通称「中村名人」。1997-2000年当時、彼を知らないキッズはいませんでした。今でも、各地で語られ、人気、知名度でナンバーワンを誇るヨーヨープレイヤー。今でも、地元の子供たちに指導、実演をしています。
1998年、日本人最初の世界チャンピオン。当時のトッププレイヤーたちの牽引役として活躍。
3A部門、世界チャンピオン。フリースタイルの採点を理論で組み立て、理屈で優勝をもぎ取った。その後も、ジャッジとして、活躍。
圧倒的な、存在感と、キャラクターで、2010年以降のハイパーヨーヨープロモーションを牽引。DJマサとの掛け合いが絶妙で、おはスタ!、ホビーフェアなどいろいろな場で人気を博した。2013年夏に、惜しまれつつ引退。
1998,1999年に「富士ヨーヨーフェスティバル」を主催。その流れをくみ、現在の「ジャパンナショナルヨーヨーコンテスト」がある。2007年から2010年まで、JYYFの代表も務めた。
YeT!の管理人。10年以上にわたり、ヨーヨーコンテストシーンを見つめ、ビデオの公開や編集・編成を手がける。YouTubeの彼のアカウントには、多くの大会ビデオが公開されている。現在、EJの運営統括としても活動中。
2006年より、大会運営に寄与。システム、仕組みづくりから、実際の業務まで、幅広くこなす。リバースエンジニアとして、そちらの業界でも有名。
もっと多くの人がヨーヨーシーンをよくするため、いろいろな活動を行っています。これからも、追記していきますので、よろしくお願いします。
(2013.7.30 更新)